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第34回  癌より怖い、高齢者の転倒

大腿骨近位骨折の生存率は、胃癌よりも悪い

最近、思わぬ段差につまずいて、転んだ経験はありませんか? 統計の取り方にも依りますが、65才以上の大腿骨近位骨折の5年生存率は、胃癌生存率よりも悪いと言う報告もあります。 大腿骨近位骨折は股関節の近くの骨折で、高齢者、特に骨粗鬆症で骨の密度が低下して弱くなると、「ちょっとした段差につまずき、よろめいて倒れただけなのに」、と言う状況でも起こりえます。 大腿骨頚部骨折は、偽関節と言って骨折が治らず、骨が付き難い骨折の一つです。昔は、骨が付かなければ起きる事も難しく、寝たきりになって肺炎や膀胱炎を起こしたり、老人性認知症となったりして、多くの人が1年以内に死亡していました。現在では、人工骨頭置換術や骨接合術などの手術が早期に行われ、早期離床、リハビリでずいぶん改善されました。しかし、それでも60才以上の骨折患者の1年生存率は91.9%(一割の人が死ぬ)、5年では45.6%(半分の人が死ぬ)と報告されています。 又、たとえ運良く生きながらえたとしても、その間かかる医療費は高額で、介護費用もどんどんかさみます。このままでは、骨折した当人や家族ばかりでなく、年間1,500億円とも言われる国の負担も増大し、経済的にも人的にも達行かなくなるので、個人ばかりでなく、国を挙げて骨折の防止に取り組む事になりました。

大腿骨近位骨折の生存率は、胃癌よりも悪い   

骨折の原因は、骨粗鬆症

では、どうしたら、高齢者の骨折を防ぐ事が出来るでしょうか?骨密度が低下した骨粗鬆症が骨折の原因とされています。ですから今、多くの高齢者が骨密度を測ってもらい、正常の何%か一喜一憂しています。正常値に達し無ければ、薬や注射で一歩でも改善しようと努力しています。でも、それだけで解決するのでしょうか? 骨粗鬆症が、大腿骨近位骨折の大きな原因である事は間違えありませんが、骨粗鬆症の人が全員、骨折する訳ではありません。骨粗鬆症で骨が弱くなった人でも、転倒して初めて骨折するので、転倒せずに骨折する人は極めて希です。ですから転倒しない事は骨粗鬆症の治療と同じく、いやそれ以上に骨折の防止に重要です。 高齢者が転ぶ時には、何らかの原因で姿勢を崩し、それを回復できないで、転倒します。姿勢を崩す原因で多いのはつまずく事ですが、古くは爪突くと書いたように、足先を何かに打ち当ててよろけます。「ちょっとした」「思わぬ」「わずかな」段差に躓いてとは、転んだ原因として良く聞く言葉ですが、この表現に意味があります。これは、歩いていて、遊脚期の足先がぶつからずに振り抜けると想定したのに、それに反して足先が何かにぶつかった状態です。そのため遊脚が急停止し、そのまま体が前方に移動して前傾し、重心が立脚から荷重の用意が出来ていない遊脚に急激に移動し、前方によろけ転ぶのです。

運動と生活習慣の見直し

想定外の理由は、想定か対応の失敗です。年をとれば目もかすむので目測を誤る事もありますが、多くは対応が十分行えなかった事が原因です。歩行時に足を前に振り抜く時、人間はエネルギーを節約するために、地面を擦るように数センチという地面すれすれの高さで足を前に振り出します。この高さを決めるのは、股関節、膝関節、足関節の屈曲角度ですが、人間は歩く時に一々意識して制御している訳ではありません。それこそ、歩き始めてから何十年と慣れ親しんだ歩行パターンに従って、無意識に反射的に制御しています。その歩行パターンは、年齢、体力などに応じて適応し、変化してきます。 ところが、年をとると筋力が衰え思った力が出せなくなります。足先が地面から2cmの高さを通過できるように、股、膝、足関節を曲げろと運動神経が筋肉を刺激しても、筋肉が衰え十分な力が出せないと結果的に足先が地面に突っかかって転びます。 人間は関節を曲げる時、筋肉に収縮して関節を曲げろと指示すると同時に、関節からどのくらい曲がっているという情報を得て、何時、曲げろという指示を止めたら良いか制御しています。これを、フィードバックと呼ぶのですが、実際には単に単に曲げろ、止まれという単純な制御ではなく、最小限の力で最短時間に行えるよう筋力や収縮速度を変えて、複雑な制御をしています。歳をとると筋肉を動かす運動神経ばかりでなく、筋肉や関節からの情報を伝える感覚神経、そしてフィードバックを司る反射機構も衰えて行きます。筋肉が衰えて足が上がらなくなる上に、それを補正する制御機構を司る神経も衰えるので、つまずいて転ぶのです。 では、転ばないようにするのはどうしたら良いのでしょうか。それには、運動で衰えを少しでも防ぐ事、生活習慣を見直して転倒の危険を排除する事、それに靴や杖など歩行を助け転倒を防ぐ用具を使う事が大切です。次回からは、転倒防止に早速役立つ靴の選び方をお話ししましょう。